家を建ててどうやら5年が経ったらしい。
鉾田に住んで5年だけど、知らない場所はまだまだある。
気になってた場所に行ってみた日のお話です。
鹿嶋編
はまなすの精
なにコレ…。こんなのあるの知らなかったよ。
四季を通じて釣り人やサーファーが訪れる角折海岸のヘッドランドに建つ「はまなすの精」。かつて塩作りでにぎわったこの浜を静かに見守っています。ー鹿嶋市ホームページより
えっと、、だからなんなんだ。
ヘッドランドにあるので、ここを観光地にするのは危険な気がするし(毎年ヘッドランド付近では波にさらわれたりする事故がある)
大体、アクセスもものすごく悪い。
Googleマップを頼りに行くと、民家に入って行き止まりになるので要注意。
私も海に出られるのかな?と思って進んだら民家の庭に入りそうになったので、慌ててバックして戻りました。この日慣れない軽トラだったから怖かったよ。
Googleマップで案内されるより南側に海辺へ行く道があるのでそちらから行きました。
この日はキルモノの撮影をしようと思ってここに来てみました。この写真は使ってないけどね。
鹿島神宮 東の一の鳥居【明石浜】
はまなすの精よりももっと南側、明石浜というところに鹿島神宮の東の一の鳥居があります。
鹿島神宮は東西南北に一の鳥居があります。
北の一の鳥居に行った時の話はこちらから。
ここ明石浜から、武甕槌命が 大国主命と出雲で国譲りの話をした後に東国に入り、上陸したと伝えられています。なんでここから来たのかねえ?
鳥居の向こうはすぐ海です。311以降は塀ができたみたいですが、その前は鳥居から海が見えたようですね。
昭和7年に再建されたのかしら?
鹿島灯台
鹿嶋に灯台なんかあったっけ?と思いましたが、ありました。
ひっそりとあります。ちゃんと現役です。
住宅地と墓地の隣にあります。
車で走ってるときに、なんだあれ?と見つけて はまなす公園の展望台…にしては位置が違うしなーと疑問に思ってました。灯台なのか。
海上保安庁のホームページではパノラマ映像が見れます。
住吉神社
鹿島神宮周辺は神社だらけ。
ここも、急に木が鬱蒼として、海の方に抜ける坂道がトンネルのようになってて その入り口にあります。
立て看板より
住吉神社は小宮作地区の鎮守の森で、神功皇后である息長帯媛皇尊(オキナガタラヒメノミコト)を祀っています。
創建は江戸時代と推計されます。
この社の南側に雨が降ると、池のように水が溜まる窪地があり、そこに大蛇が棲んでいました。
人々に危害は加えませんでしたが、ある日この大蛇が神栖の神之池に移り棲んでからは、池の水は干し上がったと伝えられています。
大蛇は神之池に行ったんですね。
ちなみに、この立て看板のようなものが各所にあり、観光案内の道標になってました。
次は神之池に。
櫻花公園
鹿嶋市ですし、今の住所は神之池ではないですが 櫻花公園のあるところは 海軍航空隊神之池基地があったところです。
今は新日鉄住金の敷地ですがこの辺一体が基地だったということですね。
ここには掩体壕(えんたいごう)というものがあります。
そしてこの中に、櫻花 がある。
レプリカですが、これに乗って、特攻してた訳です。
敵に見つからないように、この掩体壕に隠されていたようです。
なので、この周辺はたくさん掩体壕があったそう。
神雷部隊かあ。特攻隊の話は本当に胸が苦しくなります。
ここも掲示板のようなものに、たくさん資料が貼ってあったのですが あまり管理されてないのか風化してて読みにくくなっていたり…。
もう当時のことをよく知る人や、保存していこうという人も少なくなっているのでしょう。
有人ロケット爆弾、櫻花。
アメリカからは BAKA bomb と呼ばれていたそうです。確かに馬鹿げた発想かもしれない。でもそれでも国を守ろうと必死だった人たちが居たわけです。
戦争遺構、もっとちゃんと保護しないと駄目なんじゃないかなあ…。戦争ダメ!って無かったことにするのは違うと思う。
戦争はもちろんダメであって、なんでダメなのかをこういうものを通じて学ばないといけない。今の平和な世の中があるのは、この時戦った方々のおかげでもある。
そんなことを考えながら、
どきどきセンター
鹿嶋の埋蔵文化財整理事務所のどきどきセンターに向かった。
どきどき はもちろん土器である。
土器などの資料も面白かったのだけど、ここはグッズが豊富で面白かった。
鯰絵の塗り絵と、
どきどきセンターオリジナルの歴史漫画の冊子と、
大助人形ストラップキットを買った。
大助人形ブームが来てるので、そりゃ買うよね。
大助人形を作るのは楽しかった。
鹿嶋編はこんなところで。
鹿嶋は歴史のある場所なので、いろいろ調べると面白い。
鉾田編に続きます。
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